石浦サミット! 石浦さん 全員集合!

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”石浦さん” 全員集合!!

:石浦姓の名刺を手にする各地の石浦さんたち=昨年11月、金沢市石浦姓の名刺を手にする各地の石浦さんたち=昨年11月、金沢市
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    一向一揆鎮圧で散り散り?

 

 

◆「430年ぶりの再会」準備◆

 

全国各地の石浦姓の人が金沢市に集う「石浦サミット」が今秋開かれることになり、京都や富山の石浦さんたちが準備を進めている。石浦一族は15~16世 紀に起きた加賀一向一揆の鎮圧後、金沢から全国に離散したと考えられており、「430年ぶりの再会だ」と盛り上がっている。

 

 

―9月、金沢で「サミット」―

 

 

準備の中心となっているのは、京都市右京区京北上弓削町(けいほくかみゆげちょう)に住む石浦秋代三(きよぞう)さん(76)。市中心部から車で1時間 の山あいにある同町の「十一地区」では、64軒のうち石浦姓が14軒ある。いずれも親族で、秋代三さんが10代目の本家だ。

 

石浦という名字はここにしかない。秋代三さんはそう信じて育った。1988年の親族の新年会で、ふと「自分たちのルーツが知りたい」と話題になった。

 

秋代三さんは「先祖は若狭(福井県)から来た」という口承を頼りに福井県小浜市の寺を5軒回った。だが、めぼしい手がかりはつかめなかった。あきらめか けていた2007年、親族の一人が、旅行で訪れた金沢市の兼六園の隣にある「石浦神社」で、「各地から石浦姓の人がやってくる」と聞き込んだ。

 

秋代三さんは09年に同神社を訪問。「昔、金沢に石浦氏という豪族がいて石浦郷という村もあった」と聞いた。郷土史などで戦国時代、金沢市中心部に石浦郷があったことを確認した。

 

さらに15世紀後半、浄土真宗の門徒らが時の支配者を倒して自治的な支配秩序を築いた「加賀一向一揆」を起こした人の中に石浦郷の住民が多くいたことも 判明。1580年に織田信長の家臣に鎮圧された後、散り散りになっていた。秋代三さんたちの祖先は、若狭を経て京北に移住し、明治時代の戸籍法制定で石浦 姓にしたと推測された。

 

「たどり着いたのが、私たちの住む山あいの村。どんな本にも数行しか書かれていないことを拾い集めて一つの物語になった。そりゃうれしかった」

 

北陸には、ほかにも石浦郷の子孫たちがいるはずだとにらんだ秋代三さんは、北陸各地の約30地点の電話ボックスで電話帳をたぐった。その結果、富山県高岡市で約30人の石浦姓の人を発見。実際に会って家紋が同じことも確認した。

 

秋代三さんら石浦姓19人は昨年11月、金沢市内で石浦サミットの呼びかけ人会議を開いた。高岡市の石浦秀幸さん(40)は「同じ名字というだけで垣根なく付き合える。姓に親しみや誇りを持つようになった」。

 

サミットは9月22、23日に開催。今月14日にはインターネットなどで見つけた26都道府県の石浦姓380人にこれまでの経緯を書いた「招待状」を 送ったところ、すでに参加の返事も届いた。秋代三さんは「京都の本家として石浦のルーツを調べるのは私の責任。初めて会ったのに、涙を流して抱き合った人 もいた。一向一揆後に離散して以来の『再会』が待ち遠しい」と楽しみにしている。

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